さわだむのブログ

個人ブログメディア実験中。関西の教育系NPOスタッフが日常を綴ります。

友達がいないのは悪いことなのか

先日、映画「万引き家族」を見てきた。

色んな見方があると思うけど、”つながって生きることの大切さ”と”すぐそこにある貧困”がすごく自然に描かれているなぁと感じた。

 

そして昨日、2010年に公開された映画「悪人」を見た。

これまた色んな意見があると思うが、そこでふと感じたのが、タイトルにも書いた『友達がいないのは悪いことなのか』ということ。

 

妻夫木聡演じる主人公・清水祐一は、特に夢や目標があるわけでもなく、友人や恋人もおらず、これといった趣味もない、パッとしない人間。でも、家族の世話を献身的にしていて、仕事もそれなりに真面目にやっていそうで、悪い人ではない。

深津絵里演じる馬込光代も、普通に働いて、普通に暮らしているが、祐一と同じく、周りに恋人や友人のいる気配がない。光代も全く悪い人には見えないが、あまり友人が多いタイプでもなさそうだ。

この二人が最終的には絶望的な逃避行をすることになるのだけど、何でこんなことになってしまったんだろう、もっと普通に生きることも出来たはずなのに、そう思わずにはいられなかった。

 

そんなことを思った時、もう一つ、思い出した物語がある。

東野圭吾の小説で、2008年に映画化された「容疑者Xの献身」だ。

※以下、ネタバレあり

 

 

 

この物語に登場する石神は、孤独な天才。

数学にかけてはガリレオこと湯川先生が一目置く存在だが、恋人も(湯川先生以外の)友人もおらず、しょぼいアパートにひとり暮らし。

 

そんな孤独な日々を送っていた石神を救ったのが隣に引っ越してきた花岡親子で、それが結局、石神を犯罪に向かわせることになるのだけど、そうなるまでは、石神もただの”地味で偏屈な先生”だった。

 

 

この3つの映画に共通するのが孤独だ。

孤独は健康被害をもたらす、といったニュースも以前話題になっていたが、確かに、ひとりでいることは気楽だなと思う反面、寂しい、つらい、といった気持ちに繋がりやすいとも思う。やっぱり家に帰って話し相手がいるのは良いなと思うし、嫌なことがあったり、落ち込んだりしたときに話を聞いてくれる人、悩みを相談できる人が自分には必要だ。あるいは一緒にご飯を食べたり、ちょっとした喜びでも分かち合える人がいるかどうかは、幸福度にも大きく影響するというのも分かる。

 

また別の映画だけど2010年公開「ゴールデンスランバー」(原作・伊坂幸太郎)は、犯罪の容疑をかけられた主人公・青柳が仲間の助けを借りながら真実を明らかにしていく物語。青柳もそこまでパッとしない感じなんだけど、どこか魅力的で、助けてあげたくなるキャラだった記憶がある。

あぁ、優秀かどうかよりも、人に愛されるかどうか、信頼されているかどうかが、人の価値を決めるのかなぁ、なんてぼんやりと思ったことを覚えている。

 

 

ただ、ちょっと「もやっと」する。

孤独であること、友達が少ない、いない、というのは(「少ない」と「全くいない」の間にも隔たりはあると思うが)そんなに悪いことなのだろうか。孤独は人を不幸にするのかもしれない、でも、孤独が人を成長させることもあるし、ものすごいイノベーションや、後世に残るアート作品を生み出すこともあると思う。人とのつながりが逆に人を苦しめたり、時にはいじめを引き起こしたり、自殺に追い込んだりといったこともある。

 

 

 

フィクションではあるけど、似たような出来事はきっと実際に起こっているはずで。

もし、孤独が不幸な事件を引き起こしているとしたら、その一線を超えてしまう人とそうでない人の境目にあるのは何なんだろうか。

 

ヒトは社会的動物だから、いわゆる社会性というやつを持って、人とのつながりをうまいこと保ちながら生きていかなければいけないのかもしれない。

自分にとって最適な人との距離感、つながりの数が持てたらきっと幸せなんだろう。

 

そして、例え孤独であったとしても、「自分にとっての使命」「人生を懸けて熱中できる何か」があるかどうかが、もしかしたら大事なのかもしれない、そんな風に思った。

 

あまりまとまりないけど、今日はこの辺で。