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さわだむのブログ

個人ブログメディア実験中。関西の教育系NPOスタッフが日常を綴ります。

デジタルデトックス

先日、4日間ほど沖縄県久高島に行ってきた。

「自然の中で自分自身の心を見つめなおし、ビジョンを考える」ための合宿で、島にいる間はスマホ、PCなどデジタル機器は完全OFF、いわゆる「デジタルデトックスである。

 

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自分自身、どちらかというとスマホ依存に近いかもしれないという自覚がある。

スマホiPhone)を買ったのが2009年頃。3Gか4だったかな。その辺りでTwitterを始め、ものすごい情報量が入ってきて、これまで知らなかった価値観にどんどん触れるようになった。この世の中で何が正しいのか、自分がこれまで信じていたモノにも疑いの目を向けるようになった。

震災があって、テレビで報道されていることと、Twitterから流れてくる被災地の声のギャップを知った。

良くも悪くも、自分の視野、価値観を広げてくれたのは、間違いなくスマホであり、SNSだった。

 

スマホに慣れれば慣れるほど、自分自身の頭で考えるということを、少しずつしなくなったのかもしれない。そして、自分自身の心の声を聞いたり、過去のことを思い出したり、未来に想いを馳せたり、そういう「思考」の時間を、取らなくなっていたのかもしれない。

 

都会の喧騒の中で過ごしていると、自然の音も聞こえない。車や電車の騒音の方が耳につくから、イヤホンをして街を歩いたり、人の顔もあまり見なかったり。

そうして、五感を使わなくなっていたのかもしれない。

 

4日間、もはや何もない小さな島(周囲約8.0km、人口約250人。島にあるお店は3軒ほど、夜開いている飲食店は1軒のみ。)で外部からの情報も入らない状態で過ごすと、不思議と自分の中から色んな思考が湧き出てくる。今まで忘れていた過去の出来事が思い浮かんでくる。目には空、海、木々の色、耳には鳥の声、波の音が感じられる。口に入れた野菜を噛んでいるうちに、だんだん甘味が感じられてくる。

 

ああ、感覚を解放するとは、こういうことなのか。

自分の心の声を聞くには、外の声を排除しないといけないのか。

 

めちゃくちゃ新しい発見があったというよりは、改めて、普段いかに多くの(そしてその大半はそこまで必要でもない)情報に触れているのか、そこに時間を費やしているのかに気付かされた。

 

と同時に、ふと「信じる者は救われる」という言葉が出てきた。

 

あまり詳しくは書けないのだけど、この合宿の中で、ある種スピリチュアルな考え方に触れた。久高島が「神の島」と呼ばれる所以は調べていただければと思うが、その中で暮らす人たちの中にもそういった”信仰”が根付いている。伝統を受け継ぎ次の世代に伝えていくことと、その”信仰”を守り続けることもイコールではないのだと知った。

 

都会で、無味乾燥な、歴史やお祭り、地縁といったものと無縁に暮らすことも

歴史ある地域の伝統を守りながら(悪い言い方をすれば、古い価値観に縛られながら)暮らすことも

どちらが良いというものでもない。

 

生まれ育った地域の中で、この”信仰”は育まれていく。

 

久高島という特殊な環境の中で数日間過ごすと、少しその”信仰”を大切にしていきたい人々の考え方もわかる気がした。

 

でも、やっぱりこうして都会に帰ってくると、自分はこっちの方が落ち着くなと思えてしまう。

 

どちらが良いというものでもない。

 

どんな価値観を信じ、大事にしていくのかは、結局は自分次第なのだ。

そこにあまり疑いを持ちすぎてしまうと、結局は自分自身が不幸になってしまう。

 

だから、

「信じる者は救われる」

 

そんなことを、無味乾燥な都会の喧騒の中で思った。